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日本のモータースポーツ選手の方々へのおねがい。 海外のトップドライバー、ライダー、アスリートの中には、自分自身の成功を様々な形で社会に還元し、自分の関わっている分野のすそ野を広げるために尽力したり、ボランティア活動をする方々がたくさんおります。日本でもわたくしたちの活動にご協力してくださる方々が少しづつ増えてきましたが、まだまだ充分ではございません。ぜひたくさんのドライバー、ライダー、アスリートのみなさんのお力をお借りしたいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。 ACTASの願い。 世界のどの国の子供にも将来の夢や希望があります。でも自分が作った原因ではない交通事故で夢や希望が叶えられない子供が我々の住むアジア諸国にはたくさんおります。そんな子供達に少しでも私達が支援と協力の手を差し出して、将来素晴らしいスポーツ選手、研究者、国の指導者などが育ってくれたら望外の幸せです。我々がいつも心がけているのは「〜してあげる」ではなく「〜させていただく」という心です。 日本には数々の交通遺児支援体制と支援する方々がいらっしゃいますが、アジア諸国では全くと言ってよいほど支援体制が無いのが現状です、そのためにもアジア諸国の交通遺児のために、たくさんの方に力を貸していただきたいと願っております、そして交通事故の撲滅運動とアジア諸国の交通遺児の支援にご協力ください。いまはまだ小さな力ですが、アジア交通遺児支援協会(アクタス)はアジア諸国の交通遺児の力になりたいと願っています。子供達のために政治や文化や宗教の違いなど、さまざまな壁を乗り越えて活躍したいと思っておりますので、ぜひとも皆様のご協力を切にお願い申し上げます。 理事長メッセージ。(2003.8.9ACTAS安全運転講演会挨拶より) 振り返ると10年前の1993年6月21日にタイのバンコックにおいて横断歩道で信号待ちをしている時に信号無視をして来た車に親子連れの父親が撥ねられるという事故を目撃したのが私にとってこの交通遺児支援という活動をはじめた原点でした。 それから10年という歳月がたち今までは任意に個人で活動していたものが、東京都より法人認証格の通知を受けた時点で「私」より「公」の組織となり、私の社会的立場も「法人格の理事長」となり、そのことによってどのような変化があったのか、それは責任の重さではないかと私は感じております。 今までは任意で活動していたことが会員や支援してくださる方がいらっしゃると「公」という立場に立ちますので、これからも初心を忘れず精進して行こうと決意しております。 さて、現在日本の状況を見渡すと、政治、経済、何を取り上げても全て暗い話題ばかり、そして先般のイラク戦争でも犠牲になったのは何も悪いことはしていない人々・・ 私は仕事柄海外に出向くことが多いのですが、私どもが国際協力を行っているアジア諸国も遠い昔にはいろいろな国のエゴによって植民地であった国が多く、その事実は永い歴史と時間と共に忘れられているようだが、それがそもそもの原因である貧困はまだまだアジア諸国に存在している、そして戦争と同じように自分が何も悪いことはしていないのに自分が起こしたことでもない交通事故によって親や親権者を失って希望はおろか明日食べる物をどうしようと、途方にくれるたくさんの子供がいる。 私はモータースポーツを愛しているので擁護するわけではないが、日本では一部の人々から「車」という感情を持っていない機械そのものが危険であり「悪」だと思われているようです、危険なのは操作する「人間」の方だと思うのだが・・なかなか理解して頂けないのは大変残念です。 さてACTASも東京都より特定非営利活動法人の認証を取ってから早5ヶ月が経ちました。準備期間を含めると約2年近く費やしておりますがあっという間でした、NPO法人はよく、人、物、金、と言われますが、物、金、にはいつも苦労をしておりますが、人には恵まれております、理事をはじめとする仲間も大変協力的ですし、各団体の方々も惜しみない支援をしていただいております。会員の方も少しずつ増えてきました、またインターネット上でスタートしたウェブ募金には賛同いただいた方から「応援しますので、頑張ってください」とのあたたかいコメントを添えて募金も頂戴いたしました。本当にご協力いただいている皆様には頭が下がります、たまに僕は何でこんな大変なこと始めてしまったのだろ〜と思いめげることがありますが、応援してくださる方々やアジアの国々で交通事故によって遺児になった子供たちの、けれんの無い澄んだ瞳を思い出すと、こんなことでめげちゃいけないと勇気が出ます。応援してくださる方々やアジア諸国の子供たちに自分が日々勉強させていただいているのだと思います。 私は以前より現在も、また将来も終始一貫変わらないのは「社会貢献」や「慈善」の為に活動しているのではないということです。自分がアジアでの交通事故の現場に遭遇し、そのシーンが忘れられず、同じアジアの仲間なのだから困っている人がいたら助け合おうよ、出来る人が「させていただく」のは人間としてあたりまえのことじゃないかと、賛同する仲間とスタートしたのが最初でした、我々の仲間に理論家や評論家はおりませんし、必要ありません、そんな暇があったら行動します。 アジアの雑踏と美しい風景の中に今日も交通事故は起こり交通遺児となった子供たちの「無念」な思いは生涯晴れません、彼等の気持ちを聞いてあげることもあまり意味が無いと思う。それよりも時間の許す限りアジアを歩いて、「無念」の言葉すら思いつかぬ彼等の掌を握ってあげたい。彼等の掌のあたたかさこそ私にとっての勲章であり誇りでもあります。 そして今月8月よりACTAS フレンドシップ ハウス建設募金を第一次プロジェクト2006年までの計画でスタートします、この計画はアジア諸国の交通遺児のために先ず住居を確保し、安住の場を与え、施設内での人間教育とPTSDをはじめとする心のケアを医師や専門家のボランティアの方々と行ってゆきたいと考えております。 最後に,まだスタートしたばかりでゴールが無いレースですがその初心をいつまでも忘れずに努力いたしますのでどうかご支援ご協力よろしくお願いいたします。 特定非営利活動法人アジア交通遺児支援協会 理事長 山本隆之 ボランティアをむずかしく考えないでください。 100円玉一枚(ワンコイン)がこんなに役立つそうです。 ● カンボジアでは、子どもたちへの教育支援の一環として、小学校を建設するための指導を行っています。その学校で学ぶ児童・生徒に学習用ノートを5冊提供出来ます。 (特定非営利活動法人 JHP・学校をつくる会) ● バングラデシュでは、生活環境が良くないため住民にたいして保健衛生指導や医療支援を行っています。そこで使用する医療用の注射針が32本購入できます。 (特定非営利活動法人 国際エンゼル協会) ● 肺炎にかかった子どもに抗生物質を約20日間投与できます。 (財団法人 日本ユニセフ) ● アフガニスタンでは、山岳地帯などでは病院や医師が少なく巡回診療などを行っています。4〜5歳の子供一人に3回分のハロファン(マラリアの薬)が投与できます。 (ペシャワール会) ● アフガニスタンでは、カブールに診療所を設け、アフガンの母と子のために診療を行っています。感染症などの病気に使用するペニシリン系の抗生物質を43錠投与できます。 (財団法人 日本国際親善厚生財団) ● ボリビアでは、貧困地域に生活し働いている親のために保育園を運営したり栄養改善指導を行っています。この保育園で提供する給食用のコッペパンが12個購入できます。 (イリマニの会) ● バングラデシュでは、路上で生活する子どもたちのために、青空教室を開き、教育などの支援活動をしています。この子どもたちの食事のためにお米2.5kgまたは牛乳が2リットル購入できます。 (シャプラニール=市民による海外協力の会) ● バングラデシュでは、貧しい農民が行う自助努力のためのグループ活動を支援しています。農民が生活のために飼っている牛、46頭分に予防ワクチンを接種できます。 (シャプラニール=市民による海外協力の会) ● フィリピンでは、熱帯林や森林が減り環境破壊が年々進んでいます。そのために将来を担う子どもたちが植林活動をしています。マホガニーやアカシアの苗木が2〜3本購入できます。(地域、時期により異なります。) (財団法人 オイスカ) *2002年12月30日現在の為替レートです。 これはほんの一部ですが、100円玉一枚(ワンコイン)でこれだけの事ができます。日本にはたくさん国際協力を行っている団体があります。そしてそれぞれの団体が一生懸命努力をして海外で活躍しております。ACTASでなくても結構です、自分の気持ちで先ず第一歩を踏み出してください。
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タイからのお話
あたたかい人々からの恩は、 日本人として何倍もの心を添えてお返ししたい・・ バンコク市内の南、タイで母なる河と呼ばれるチャオプラヤ河(メナム河)がシャム湾に注ぐ河口から28kmほど上流にあるこの国最大の貿易港、クロントイ港の隣接地区に港湾局の土地を不法占拠してできた、バンコク最大規模といわれるスラム「クロントイ・スラム」がある。(スラムとは、一般に生活水準の低い人口密集地域でそこに住む人々の生活がある一定の平均水準に達していないような居住区のことを指すが、その多くはスクウォッターと呼ばれる不法占拠地区である。)トタン屋根に廃材を使って建てられたバラック小屋が密集し約8万人が住み着いている。ここの子供たちの多くは、さまざまな理由で義務教育を受けることができないどころか、住宅登録や出生届けすらももちあわせておらず、そして経済的にも貧しい人たちが多く、識字率は当然低い。このような子供たちのなかには勿論交通遺児の子供達もたくさん含まれております。 そして1995年1月17日AM5:46にあの忌まわしい阪神・淡路大震災が起きました。私が何故冒頭にタイのクロントイ・スラムのことを記したのでしょうか?このような状況のクロントイ・スラムの住民の間で阪神・淡路大震災のための募金がおこなわれ義援金1,120,000バーツ(当時のレートで約450万円)が集められ2月1日にタイのクロントイ・スラムの皆様からの「あたたかい心」が神戸に届けられました。 ここの住民の方々がこのような「あたたかい心」を持つようになったのは、スラムでの教育活動が評価されて1978年 アジアのノーベル賞と言われるフィリピンのラモン・マグサイサイ賞を受賞「スラムの天使」として世界に知られた。プラティープ・ウンソンタム・秦さんの貢献が大きく、今日にいたっております。
プラティープ・ウンソンタム・秦さんとは |
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